【不動産判例ファイル】不動産価格の高騰で手付解除⁉「履行の着手」はどこからか
投稿日 : 2026年03月17日

不動産取引は人生の大きな節目。しかし、そこには目に見えない多くの落とし穴が潜んでいます。「契約書に書いてあるから大丈夫」と思っていたことが、思わぬ解釈の違いで白紙になってしまうことも……。
本シリーズでは、実際に起きた裁判事例をもとに、不動産トラブルを未然に防ぐための知恵を分かりやすく解説していきます。
本シリーズでは、実際に起きた裁判事例をもとに、不動産トラブルを未然に防ぐための知恵を分かりやすく解説していきます。
シリーズ:不動産判例ファイルとは?
不動産取引における「言った・言わない」「知っていた・知らなかった」の争いを、実際の判決から学ぶ連載記事です。
- 第1回:【不動産判例ファイル】地主が印鑑証明を拒否したら…仲介手数料は返ってくる?
- 第2回:【不動産判例ファイル】天空率を巡る法廷闘争:『役所が認めた天空率算定』をしたのに裁判に。
- 第3回:【不動産判例ファイル】不動産価格の高騰で手付解除⁉「履行の着手」はどこからか(本記事)
Table of Contents
【裁判事例】「履行の着手」はどこから始まる?
地価高騰の影響で、売主が「手付金を倍にして返却するから契約を白紙にしたい」と申し出たことから始まったこの裁判。最大のポイントは、期限よりずっと前に行われた買主の測量や代金準備が、契約を後戻りできなくさせる「履行の着手」にあたるかどうかでした。
最高裁は、売主の新居探しのために用意された異例の長い猶予期間という「契約の背景」を重く見て、買主の一方的な準備だけでは売主の解除権は奪われないと判断しています。
不動産売買の常識に一石を投じたこの判決の内容について、詳しく解説します。
基礎知識:手付解除とは何か
買主は手付金を放棄、売主は手付金の倍額を返還することで、契約相手が「履行の着手」をする前であれば、違約金なしで契約を解除できる制度のことです。
履行の着手
当事者の一方が契約の義務を果たすための具体的行動を開始すること。
これ以降は、手付解除が出来なくなる。
これ以降は、手付解除が出来なくなる。
事例の概要

地価高騰で住み替えが難しくなった売主が契約解除を求めましたが、買主はこれを拒否しました。すでに買主が行った測量や支払いの督促が、解約を封じる「履行の着手」と言えるかが争点となった判例です。
■登場人物
- 売主(亡D):
- 対象となる土地建物の元の所有者
- 長男である上告人と同居するための新居を購入する目的で、不動産を売却予定
- 上告人(Dの長男):
- 売主Dの長男で、本件裁判の上告人
- 買主(被上告人):
- 社宅の退去期限が迫っており、転居先を探して本件不動産を購入した人物
異例な売買契約

昭和61年3月に異例ともいえる条件で売買契約が結ばれました。
- 売買代金:8500万円
- 手付金:100万円
- 残金決算・引渡しまでの期間:1年9ヶ月
この契約では、売主が新居を探すために「約1年9か月」という長い猶予が与えられていました。
手付金が100万円と安かったのは、「売主に有利な長期間の引渡し猶予」を認める代わりに、「買主の初期負担を軽くする(少額の手付金)」という形で契約全体のバランスをとるためであったとされています。
手付金が100万円と安かったのは、「売主に有利な長期間の引渡し猶予」を認める代わりに、「買主の初期負担を軽くする(少額の手付金)」という形で契約全体のバランスをとるためであったとされています。
予期せぬバブル経済の到来で不動産価格が高騰

契約直後から、首都圏の地価が異常なペースで高騰し始めます。
売主は、8500万円の売却代金では希望する新居を買うことができないと焦り始めます。
売主は、8500万円の売却代金では希望する新居を買うことができないと焦り始めます。
そこで、売主は手付金の倍額(200万円)を支払い、契約を解除することを申し出ました。
ところが買主側はこれを拒否。法廷闘争へと話が進みます。
買主の猛反発:「履行に着手」しているので解除は無効!
買主は解除を拒否し、逆に「契約の履行」を書面で要求しました。
- 主張1:
- すでに自費(約14万円)で土地の測量を完了している
- 主張2:
- 山林を売却し資金(約4千万円)の準備もできている

- 3月1日
- 売買契約締結
- 3月8日
- 買主が自己費用で土地の測量を実施
- 10月29日
- 売主が契約解除を申し出る
- 10月30日
- 買主が「代金は準備できている」と履行を求める書面を送付
- 11月14日
- 売主が正式な契約解除通知を送付
買主は「測量の実施」と「代金の準備」ができており「履行に着手」しているため、解除は無効だと反論します。
| 売主の主張 | 買主の主張 |
|---|---|
|
|
買主の行動(測量・代金準備と通知)は、「履行の着手」に該当するのでしょうか?
最高裁の判決は?

最高裁はそれまでの下級審の判決を翻し、売主の主張を認めました。
なぜ、最高裁はこのような判断をしたのでしょうか?
最高裁の3つのロジック
1.契約の目的を分析
新居を探すための長い猶予期間は売主にとって「死活的に重要」だった。
新居を探すための長い猶予期間は売主にとって「死活的に重要」だった。
2.買主の行動を検証
土地測量は代金確定に必要な準備行為で、代金を支払ったわけではない。
土地測量は代金確定に必要な準備行為で、代金を支払ったわけではない。
3.タイミングを考慮
買主の支払い申し出は最終期限の1年2ヶ月以上も前。
そもそも長い猶予期間が設けられたのは売主が移転先を探すための「死活的に重要な猶予期間」で、あまりにも早い時期の申し出に売主が応じる義務はない。
買主の支払い申し出は最終期限の1年2ヶ月以上も前。
そもそも長い猶予期間が設けられたのは売主が移転先を探すための「死活的に重要な猶予期間」で、あまりにも早い時期の申し出に売主が応じる義務はない。
履行の着手を判定する「3つの診断基準」

裁判所は、単に「何かをしたか」だけでなく、以下の3要素をチェックし総合的に判決を下しました。
1.態様(なにを、どうしたか)
- チェック内容: 行為の「本気度」と「客観性」
- 判断の境目:
- 単なる「準備(測量など)」や「口頭での連絡」にとどまるのか、それとも「現金の提供」のように、後戻りできない客観的な行動に移っているかを確認
2.時期(いつ、したか)
- チェック内容:最終期日(履行期)に対して「早すぎないか」
- 判断の境目:
- 期日よりあまりに前倒しで行われた行為は、相手方の「まだ解約できるだろう」という予測を裏切ることになるため、慎重に評価される
3.趣旨・目的(なぜ、その期日なのか)
- チェック内容: 設定された期間に「どんな意味があるか」
- 判断の境目:
- その猶予期間が、例えば「売主の新居探し」のように、どちらか一方にとって死活的に重要な意味を持つ場合、その期間内は簡単に「履行の着手」を認めない傾向がある
この事例から学ぶ教訓
この何十年も前の裁判が、現代の私たちにどのような教訓を示しているのでしょうか。
■コンテクスト(文脈)が法律を動かす
- 特約には、なぜその期間が必要なのか(趣旨)を明記する
- 手付金の額は、きゅあんせるのリスク(解約のハードル)と連動させる
重要なのは、表面的な「行動」の有無だけではありません。契約全体のストーリーを俯瞰し、当事者がその条項に込めた想いや背景を真摯に汲み取ること。それこそが、複雑な紛争を解き明かす鍵となります。
「履行の着手」判定のチェックリスト
本件トラブルの根底にあったのは、契約締結後に発生した首都圏の急激な地価高騰でした。
この市場激変は、たとえ「手付倍返し」をしてでも契約を白紙に戻したいという誘惑を生み、当事者の利害を鋭く対立させます。こうした局面で求められるのは、単なる事務的な進捗管理ではありません。
契約書に記された数字や期限の背後にある「人間関係と目的」を深く洞察すること。そして、行間に隠された当事者の意図を汲み取り、文脈に即した誠実な対話を重ねること。それこそが、不測の事態においても紛争を未然に防ぎ、法の正義を具現化する鍵となります。
参考判例
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